人の目を気にしまくっていたからこそ気が付いた事。

私は10代、20代と死ぬほど悩んでいた。

人の目が死ぬほど怖かった。

何かちょっとでも目立った事をすると

「何だあいつ??馬鹿じゃねーの?」

と言われなくとも、そう思われるのではないか?と 怖くて怖くて堪らなかった。

その度を越した「強迫観念」が体に影響を与え始めたのは 中学校2年生の時 忘れもしない、一人で学校から家に帰っている時に 目に違和感を覚えた。

初めは疲れだと思っていたが、次第にその「違和感」は 大きくなり始めた。

その日から丁度おでこの辺りだろうか、今まで感じたことが無い 「重圧感」に苛まれるようになった。

その重圧感は、私の思考能力を奪った。

頭にもやがかかり、意識が遠のく・・。

そして得体もしれない「不安」が体全体を襲い、喉がカラカラになり 心臓がバクバクし始める・・・

極度の恐怖症からくる身体的症状だった。

私はこの症状に20年間以上悩まされた。

何も出来ない・・

何もしたくない・・・

中学の馬鹿な教師どもは口をそろえ

「勉強から逃げているんじゃないのか?」

との一言。

まあ、その一言があったために、

「こいつらを絶対に見返してやる」

と誓って 今の自分がある。

ちょっと脇道にそれたが、それは本当に辛い毎日だった。

20代の頃までは、この症状をどうにかしようと、それこそ カウンセリングにも通ったし、精神安定剤なども処方試してみたが 一向に良くならなかった・・・。

なんでだ??

なんで俺ばかりこんな目に会うのか?

そう自問自答を繰り返し、ふがいない自分に対して 涙を流す夜も少なくなかった・・・。

しかし、N LPという学問に出会ってから気が付いたことがある。

私は確かに「人の目」を気にしている。

それは、小さい頃に受けたトラウマのせいだったり 抑圧的な親の教育の責任で「人の目」を気にしてしまうと ばかり思っていたのだが、その考えが変わってしまった。

私自身が人の粗を気にしていた のだ。

人は往々にして、無意識に自分のものさしで色々な物事を 見ようとする。

「自分がこうなのだから、相手もこうに違いない!!」 と。

私も無意識にその傾向が強かった。

以前の私は極度の対人恐怖症で、人が怖く、そして嫌いだった。

なので、何か目立った人を見ると 「あいつ、馬鹿じゃないのか?」 と無意識に思ってしまっていたのだ。

その頃私が他人に思っていた「あいつ馬鹿じゃないのか?」 には、自己主張出来ない自分がいたので、そうやって 目立つことが出来ている他人への「嫉妬」の気持ちも込められている。

また、誰かが自分に話しかけてきても、上手く返せない自分がいたので 心の何処かで 「何だこいつ。。話しかけるなよ!!」 という思いを抱いていた。

これらの事は「今考えれば無意識に思っていたな!!」と 気づかされてとても驚いた。

自分でこんな風に思っていたのだから、自分が同じ様な事をしたら こんな風に思われるに違いない!と思ってしまうのは当然の事だった。

要するに 自分が目立った他人に対して「あいつ馬鹿じゃね?」と思ってたのなら 自分が目立った時に、他人に「あいつ馬鹿じゃね?」と思われる、と 恐怖するのは当然だ! という事である。

当時の私はまさに自分の物差しで相手を見ていて、勝手に恐怖症に 陥っていたのである。

その気付きをしてから私はどんどん変わって行った。

極度に人から怒られるのが嫌いだった私は、「怒られると恥ずかしい!」 という感覚があった。

というのも、誰か他人が起こられているのを見ると 「だっせー、怒られているよ!!ざまーみろ!!」 と心の何処かで思っていたのだ。

そう思っていたのだから、自分が起こられたら今度は 自分は「だせー」と思われてしまう・・・。

そんな悪循環だった。

私は悟った・・。

対人恐怖症を作っているのは、他でもない、自分だと。 もしあなたが何かしらに「人の目」が気になって仕方がなかったら その行為に対して、自分が目の当たりにした場合、その人に対し どういった反応をするかを考えて欲しい。

良い例か分からないが、電車でお年寄りや体の不自由な人に 席を譲るという行為がある。

私は、過去に6回真顔で断られた事がある(笑) 席を立ったはいいが、その後どうする事もなく、苦笑いで また座った経験も少なくない・・^^ こんな話をしたいのではなく、その「席を譲る」事に関して どうとらえているのか?という事だ。

例えば・・

これはあくまでも例え話なので、あなたの事を 言っているのではない。

あなたは、席を譲る事で「もし断られたら恥ずかしくないか?」 と思って席を譲らない人だとしよう。

多分そういった人は、他の人がお年寄りに席を譲って、断られたのを見て 「うわーはずかしい・・」 や 「譲ったのにカッコ悪い・・」 などと思う可能性が高い。

裏を返せば自分でもし席を譲ったとしても断られたら 他人にもそう思われる!

と思ってしまっているのだ。

だから人の目を気にして席を譲れない。

20年間、ノイローゼになるくらい人の目を気にして来た私が 出した、最善の結論はここにあると思う。

人の目を気にする前に、あなた自身の目を気にして欲しい! と。

私も他人の粗探しばかりしてきた。

だから他人も私の粗探しばかりしてると思えた。

結果、人の目が怖くなった。

ノイローゼになった。

でも私は変わった。

人の目を気にしていたり、ノイローゼの人は往々にして 「制限をかけているのは他人のせい」 と考えている しかし、本当は制限をかけているのは「自分」なのだ。

人間関係は「鏡」とよくいうが、これは本当に的を得た言葉だと思う。

「なんだあいつ?馬鹿じゃねーの?」と思っている相手は あなたの事も「お前も馬鹿じゃねーの?」と思っている

しかし、 「あなたは本当に素晴らしい人です、すごいです!」 と思っている相手はあなたの事も 「いえいえ、あなたこそ素敵な人ですよ!」 と思っています。